99 Nightsとさよならアンドロメダを深読みオタクが考察してみる

はじめに

 

お久しぶりです。なつです。ブログめっちゃ放置しててごめんなさい。
そんな私がなぜ久しぶりにこのブログを更新したのかというと、アイマスPが集うインスタンス、im@stodonのユーザーによる「なつやすみプロデュースノート」という企画に参加したからです。ちなみにこの記事は24日目の記事です。
前日の記事は、稲本海さんによる「奥山沙織の台詞に見る東北方言のステレオタイプ」でした。私は南東北(宮城)出身なので、頷けるところが多々あってとても参考になる記事でした!
それでは前置きは程々にして、早速本題に参りましょー。

 

なぜ私は99 Nightsとさよならアンドロメダを考察しようと思ったのか

 

まずは犯行動機の自白からです。この動機は至極単純で、「ニコニコ動画のとある動画で『99 Nightsって百夜通い伝説が元ネタなんだよねー』というコメントを見たから」です。生粋の深読み考察オタクの私は「なんやて!?!?」とすぐに食い付きました。こればっかりはオタクの性なので仕方ないですね。ハイ。

その後さよならアンドロメダの試聴を聞いてあまりのエモさに歌詞をじっくり考察したところ、銀河鉄道の夜との関連性、共通性に行き着いたといった感じです。

いざ経緯を書いてみるとめちゃくちゃ漠然としてますね??私が普段どれほどぼんやり生きているのか痛感させられます……

 

99 Nightsと百夜通い

 

それでは「99 Nightsと百夜通い伝説について」の考察から始めていきましょう。
そもそも百夜通い伝説とは、平安初期に創作された絶世の美女小野小町と深草少将という青年の恋物語です。

大まかなあらすじを説明すると、当時京の都では、小野小町という絶世の美女として称えられていた女性がいました。彼女の元には毎晩毎晩多くの男性が求婚に訪れており、深草少将という青年もその中の一人でした。
熱心に求愛してくる深草少将に、小野小町は「本当に私を愛しているのなら、その証としてこれから百夜の間毎晩欠かさず私の元においでください。そうすれば、私は貴方の想いに応えましょう」と告げます。
深草少将はこの言葉を信じ、毎晩毎晩、雨の日も風の日も欠かさず小野小町の元に通い、そばに来ても顔を見せてくれない小町に自分が来たことを教えるため、必ず芍薬の花を一輪残して帰りました。
そして、悲願達成を目前にした99日目の夜。
その日は酷い雪の日でしたが、深草少将は約束を守るために小野小町の元に赴きます。しかし、連日の無理が祟って深草少将は道中で息絶えてしまいました。
それを知った小野小町は深く悲しみ、生涯彼の菩提を弔った……これが百夜通い伝説です。

 

さてここで、99 Nightsの歌詞を引用してみましょう。

99ナイツ

話したいな 幸せだったかな

会いたいなんて一度だって言えなかった なんてスターライト 浮かぶハイライト

静かな夜が来た

君はまだ来ないね

女性目線で語られる切ない失恋を思わせる歌詞ですが、先ほど紹介した百夜通い伝説と照らし合わせてみると、なんだか新たな視点が見えてきませんか?

 

続いてはこの歌詞を引用してみましょう。

ねぇ話したいな

99ナイツ

幸せだったかな 朝がくる

そう本当はいつだって優しくしたかった さよならは夢の中ね

朝がくることを恐れているような描写と、「さよならは夢の中」という今生の別れを思わせるフレーズ。

 

私は、99 Nightsの歌詞は「99日目の夜、深草少将を待つ小野小町」の心情を書いているのかなー、と解釈しました。
タイトルも直訳すると「99番目の夜」になる通り、「100番目の朝」、「夢の中会いたい」、など、百夜通い伝説を彷彿とさせるフレーズがこの曲の歌詞には散りばめられています。

 

この歌詞から見える小野小町は、深草少将に冷たく当たっていても実は好意を持っていた、いわゆるツンデレだったのではないでしょうか。厳しい条件を課してもきっと彼は私のために頑張ってくれる……そんな不確かな期待を抱きながら待っていた小野小町。しかし、深草少将は志し半ばに倒れてしまう。
そんな想い人を見て、小町は一人深く悲しみ、自分が彼に対して課した過酷な条件を悔やんでいる……そんな小野小町が、この歌詞から読み取れる気がしますね。

 

ちなみに、歌詞の考察を進めていくにつれて、この曲のM@STER VERSIONを歌った美希、伊織、貴音の3人はなんとなく小野小町のイメージに近いものがあるなーと思いました。
カリスマ性を持ち多くの異性を魅了するも、P一筋の美希。良家のお嬢様として生まれ、高飛車な性格の伊織。威厳のある立ち居振る舞いに、ミステリアスな魅力を持つ貴音。この3人が選ばれたのも、もしかしたら百夜通い伝説における小野小町の影響があるのかもしれませんね。

 

さよならアンドロメダ銀河鉄道の夜

 

続いてはこの2つの考察をやっていきましょー。
それでは銀河鉄道の夜のあらすじ……は長くなるので、ざっくりさわりの部分だけご紹介します。銀河鉄道の夜は引っ込み思案で照れ屋な少年ジョバンニと、その親友であるクラスの中心人物のカムパネルラの二人が銀河鉄道に乗り、銀河を巡る旅をする、というお話です。
さよならアンドロメダの歌詞からも、実はストーリーが読み取れます。今回は、そのさよならアンドロメダのストーリーと、銀河鉄道の夜の物語をなぞらえながら考察していきたいと思います。

 

まずはキャラクターの共通性から。銀河鉄道の夜にメインで登場するキャラクターは、引っ込み思案で大人しく、いじめられがちな少年ジョバンニと、その親友であり、クラスの中心人物でもある活発的な少年カムパネルラの2人です。対してさよならアンドロメダの歌詞に登場するのは、いつも一人で、笑顔の少ない「僕」と、その「僕」を笑わせてくれる「君」。
この二組の関係性には、どこか同じものを感じさせられます。

 

次はストーリーを掘り下げていきましょう。
銀河鉄道の夜は三人称視点で書かれていますが、さよならアンドロメダの歌詞はそれをジョバンニ視点で再構成したものだと私は解釈しています。そのため、さよならアンドロメダの歌詞の「僕」にあたるジョバンニと、「君」にあたるカムパネルラとの関係性が強く表現されているのではないでしょうか。これを前提条件として、歌詞を引用しながら考察していきたいと思います。

 

目を覚ましたら君は隣にいて

笑わない僕を笑ってた

実はジョバンニは自ら銀河鉄道に乗り込んだ訳ではなく、謎の強い光に導かれ、目を覚ましたらいつの間にか銀河鉄道に乗っていたのですが、ここの一節はそれをジョバンニ視点で書いたものかなーと思います。

 

願いが形になって叶う場所だと

昔本で読んだよ

星の雨も嵐も怖くないよ

君と行けるなら

個人的にこの歌詞が一番心に刺さります。
銀河鉄道の夜の劇中で、ジョバンニがカムパネルラに「どこまでもどこまでも 僕たち一緒に行こうねえ」と言うシーンがあるのですが、引っ込み思案だったジョバンニがこの台詞を言うこと、そして二人がこの後に「本当の幸いとはなんだろう?」「僕わからない」「僕たち一緒に行こうね」という会話をしていることから、ジョバンニが銀河の旅を通じて本当の幸せを探す決意をする、切なくも美しい印象的なシーンですね。
そのシーンをこの一節で表現するイノタクさんの才能。流石としか言いようがないです……

 

そして 今夜 今夜 そうお別れ
きっと もう 会えないけど
ずっと ずっとさ きみを思っているよ
泣きはらした声も 顔も
ねぇ いつでも 君は すてきだったよ

そして最後に紹介するのはこの一節です。
実は銀河鉄道の夜のラストは、銀河鉄道から下車して現実に戻ってきたジョバンニが、川でカムパネルラが溺れて亡くなった、という知らせを受け、複雑な思いを抱えながら帰路につくシーンで終わります。
その前のシーンでは自分の死を実感したカムパネルラが涙を流す場面もあり、この一節の“泣きはらした顔も 声も”という部分の表現が際立ちますね。
この一節からはジョバンニという一人の少年がいかにカムパネルラという親友を大切にしていたか、というのが伝わってきて、銀河鉄道の夜とこの曲の考察をするにおいて外せない一節だと強く思います。

 

ちなみに、さよならアンドロメダも歌っているメンバーに意味があるのでは、と思っています。森久保は引っ込み思案で消極的なジョバンニ、凛はクラスの中心人物で活発的なカムパネルラ、そして亜季さんは、三人称視点で語られる銀河鉄道の夜語り部としての役割を担っているのかもしれませんね。

 

おわりに

 

ここまで長々と色々書きましたが、最後にこれだけ言わせてください。

 

イノタクは天才です。

 

以上、深読み考察オタクの妄言でした。

 

ちなみに、今回取り上げた銀河鉄道の夜青空文庫で全文読めます。気になる方はこちらからどうぞー。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

 

明日の記事は、ゆらさんの「SideMにメンタルを立て直してもらった受験生の話」です。
アイドルマスターが心の支えになるの、すごく分かります……私もあと数年で高校卒業なので、人生の先輩のお話、とても楽しみにしています!